広告関係の会社に勤務する傍ら、都内で二つの店を経営するオーナーとして活躍する。住居は東京から離れた地方都市。遠距離を通いながら店の経営に携わり、30代半ばでオーナーとなり、はや10年。新しいビジネスシーズを現在も発掘中。
2001年9月 郊外(地方)に焼鳥屋(フランチャイズ)をオープン
→2008年3月 本部に売却
2004年9月 新宿(東京)に焼鳥屋(独自業態)でオープン
→2006年3月 店長に譲渡
2006年9月 日本橋(東京)に焼酎ダイニングをオープン
2010年2月 板橋(東京)に中華食堂をオープン
第三章「郊外から都心へ。岡本の再出発。」
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■■ 「東京で店を出そう!」
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「地方都市ではもう限界があるな・・・」
店をオープンしてから数年の間に起きた現実と、
それに呼応して元気を失っていく街の現状を見て、
岡本はそう考えていた。
そして、これを機にある決断を果たすのである。
「東京で店を出そう!」
岡本はすぐさま行動へと移した。
一度、店を出した経験が岡本の大きな支えとなり、
自信になっていたのである。
そして、2004年9月。
新宿・歌舞伎町に前回と同じ業態の店をオープンさせた。
しかし、今回はフランチャイズチェーンとしてではない。
不動産契約から店舗レイアウトなど、全て岡本が手掛けた自前の店であった。
当然、前回よりも岡本にかかる負担は大きい。
さらに、勤務先の地方都市のオフィスから、遠く離れた東京。
常に目を見張れる状態ではなかった。
岡本は、東京でも業務委託というスタイルを導入した。
当初の店長に現場を一切任せ、
「儲かれば店長にも雇われ店長では得られない収入をバックする」
というモデルだ。
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■■ ハングリーな店長とのWin-Winモデル
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また、岡本なりに色々な配慮をしてオープンした。
それは、
「店舗面積を10坪サイズにこだわった」ことである。
小規模店舗にすることによって
固定費を大幅に削減でき、粗利益率の高い店にすることができたのだ。
さらに、岡本特有の経営スタイルが功を奏した。
“業務委託”という形態で、現場の運営は全て店長に一任。
それだけ人材にはこだわった。
ハングリー精神が強く、
寝る間を惜しんでも働けるという気概のある人材を店長として起用。
その代わり、店が儲かった分だけ店長に還元した。
この双方にとってメリットのある手法が機能し、
店は繁盛を続け、オーナーとして大きな成功を収めたのである。
そして、オープンから一年半の月日が経った頃――。
店長からの申し出により、岡本は店を譲渡。
最終的にオーナーチェンジを果たしたのだった。まさにWin-Winモデルだ。